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高校受験に失敗しても全てが終わりではありません

高校受験に失敗したら

・入試に落ちた場合

@併願校や2次〜3次募集でほとんどの進学希望者が通える。理由としては少子高齢化で定員確保が難しいため。 ただし、自分の偏差値相応の高校にいけるとは限らない。
A高校進学をあきらめて自宅学習&通信教育で高卒資格の取得を目指す。
B中学浪人にして再度高校受験をする

現実的な話として首都圏では特に進学希望者が高校に入れないことはありません。併願や2〜3次募集で入ることになります。
2〜3次募集などがない場合は受験の段階から確実に入れる高校を受けるのが慣例となっています。

中学浪人に関してはいろいろな意見がありますが中学浪人はあまりお薦めできない選択肢です。
どうしてもそこしか行きたくない高校がある場合は別ですが、 大学浪人と違いほとんどの人が浪人していない状況で1年間耐えるのはよっぱど強いハートがないと難しいです。
定時制に通い仮面浪人という方法もありますが、生活環境が変わる中でどれだけ勉強できるか難しいところです。
また実際に1年後希望校に入学できた場合、同級生は年下です。
社会に出れば1歳くらいの年齢なんて全然気になりませんが、15〜6歳の1歳違いはデリケートな年齢であり問題がいろいろと生じます。
年齢なんて関係ない。絶対行きたい高校だから勉強はがんばれる!といった方は中学浪人しても大丈夫かと思いますが、 少しでも自信がない場合は止めたほうが無難です。

当たり前のことになりますが、高校受験失敗で人生は終わりません。
3年間の積み重ねの対する一つの答えだけであって、それがあなた自身の評価でもありません。
それは高校がゴールではないからです。
高校選びは将来への一つの要素ですが、あくまで一つの要素であり挽回はいくらでも出来ます。
iPhoneで有名のアップルの元会長スティーブ・ジョブズのスタンフォード大学での有名な卒業式スピーチの一説です。

私はリード大学を6ヶ月で中退したが、更に1年半ほど後に完全に辞めるまで、もぐりの学生として大学に顔を出していた。ではなぜ中退したのか。 話は私が生まれる前に遡る。私の産みの母は若い未婚の大学院生で私を養子に出すと決めていた。生みの母は養父母は大学卒でなければととても強く思っていたので、私は生まれると同時に弁護士夫妻の養子になるよう万事整っていた。ところが、私が生まれるとその夫妻は女の子が欲しかったと言い出した。そこで待機者リストに載っていた私の両親は夜中に電話を受け、「望んでいなかった男の子が生まれました。この子を養子に欲しいですか?」と聞かれた。両親は「もちろんです」と答えた。産みの母はその後、私の母は大学を卒業していないし、私の父は高校を卒業していないことを知り、最終的な養子縁組の書類に署名することを拒んだ。何ヶ月かして私の両親が私を大学にやると約束した時点で産みの母はやっと態度を緩めた。 そして17年後私は実際に大学に通った。しかし、私は無邪気にもスタンフォードとほとんど同じくらいお金のかかる大学を選び、労働者階級の両親の蓄えはすべて大学の授業料に使われていた。6ヵ月後私はそれに価値が見出せなかった。私は人生で何をしたいか見当も付かなかったし、大学がそれを見つけるのにどう役に立つかも分からなかった。そして、その時点で私は両親がそれまでに貯めたすべてのお金を食いつくしつつあった。そこで中退を決意し、万事問題ないと信じることにした。その時はとても不安だったが、振り返って見ればそれはこれまでにした最良の決断の1つだった。中退した瞬間から興味を持てない必須科目の授業に出るのを止め、面白そうなものに出席し始めることができた。 夢のようなことばかりではなかった。寮に自分の部屋はないので友達の部屋の床で寝て、コークの瓶を何本も店に返して1本当たり5セントを受け取って食べ物を買い、クリシュナ教の寺院で1週間に1回のまともな食事をとるために毎週日曜日の夜、街を横断して7マイル歩くことも厭わなかった。そんな日々がたまらなく好きだった。そして、自分の興味と直感に従った結果出くわしたものの多くは、その後、お金に換えがたいものとなった。たとえばこうだ。 当時のリード大学はたぶん、この国で最高の文字芸術(calligraphy)の授業を行っていた。キャンパス中のすべてのポスター、すべての引き出しのラベルが美しく手書きされていた。私は中退していて普通の授業を受ける必要はなかったので、文字芸術の授業を取ってその手法を学んだ。セリフとサンセリフの書体について、文字の組み合わせによって文字間のスペースを変えることについて、素晴らしい印刷物は何が素晴らしいのか、を学んだ。それは美しく、歴史的で、科学では捉えられない芸術的繊細さで、私には魅力的だった。 これらのどれも私の人生で実際に活用する見込みはなかった。しかし10年後最初のマッキントッシュを設計しているときにそれが私に蘇ってきた。そしてそれをすべてマッキントッシュの設計に取り入れた。マッキントッシュは文字を美しく表示し印刷できる最初のコンピューターとなった。私が大学を中退してその授業を受けていなければ、マックが複数の書体やプロポーショナルフォントを持つことはなかっただろう。そしてウィンドウズはマックをコピーしただけなので、どのパソコンも持たなかっただろう。私が大学を中退しなかったら、その文字芸術の授業を受けなかっただろうし、パソコンは現在のように素晴らしい文字表示・印刷機能を備えることはなかったかも知れない。もちろん私が大学に居たときに先を見越して点をつなぐことは不可能だった。しかし10年後に振り返ると、とてもとても明白だった。 繰り返す。先を見通して点をつなぐことはできない。振り返ってつなぐことしかできない。だから将来何らかの形で点がつながると信じなければならない。何かを信じなければならない。直感、運命、人生、カルマ、その他何でも。この手法が私を裏切ったことは一度もなく、私の人生に大きな違いをもたらした。
引用先⇒スティーブ・ジョブズのスタンフォード大学での卒業式スピーチ


色々な訳や解釈がでていますが、点と点を繋ぐという内容のスピーチを私は自分なりに解釈しています。
結局のところ、どんな高校や大学を出ても将来的に何かをする上でマイナスなことは決してありません。
無駄な努力、無駄な経験はないと思っています。もしあるとしたら、その努力、経験から何も得てないということでしょう。
全ての経験、努力といった点をどのように結ぶのかが一番大事です。
高校受験の失敗も糧として生きていくことで、失敗しなかった人生より輝く可能性は多いにありますし、そうしないと意味がありません。
これからの努力次第でどうにでもなる!ということを忘れないで欲しいです。